子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

先生とのお別れ。

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3月31日、年度末の最終日。

保育園に子どもをあずけるようになってから、この日がどれほど大事な日か思う。お世話になった先生が、今日を限りに異動されたり、退職されたりする。

今年は中でも深く深くお世話になった先生が二人も退職される。一人は定年による退職。もうひとりはまだ若いけど、お辞めになる。

 

そのことを思うたびにここ数日、涙が溢れて仕方ない(今も泣いてしまう)。

娘のおねしょがなかなかやまなかったとき、私は帰りの玄関で娘に「ちゃんとトイレ行ってないんじゃない?」とか「昨日も洗濯したけど今日は雨だからこれ乾かないよ?」とか怒りながらはなしてたと思う。

その様子をきっと先生は見ていて、ある日「面談しましょう」と言ってくれた。私自身は娘を責めるつもりもなかったけど、言葉は結果的に責めていた。

それに、先生からは娘が普段どれほど機転の効く良い子であるか、保育園で頑張っているかを教えてくれた。確か年少さんとかその頃だったと思う。

それ以来、私は娘に対する思いが急に変わった。

先生になにか言われたわけじゃないけど、娘なりの頑張りを私がつぶしてはいけないと思ったのだ。

 

結局昼寝の時のおねしょは年中になっても残ったけどだいぶ私も平気になっていた。仕方ないって思えるようになっていた。

そのおねしょはその後も随分と続いているけれど、それでももうそのことで一喜一憂もしないし、何よりも娘が一番不快だろうし、早く治りたいと思っている。

 

保育士の役割の一つに保護者への指導というのがある。

親に指導するってすごく大変なことだろうけど、それをやってくれたせんせいのおかげで今の私があるしおまけに息子もお世話になった。

大好きな先生との思い出やいつも笑顔で迎えてくれたり送り出してくれる、花のような先生がいなくなるのは寂しい。

 

それに定年で退職される先生も、息子が大好きな先生だ。もうそれなりの年齢だけど息子が飛びついても抱きついても絶対にぎゅーっと抱っこしてくれる。息子はいつもそのぎゅーっとされるのが嬉しくて飛び込んでいく。0才児のときに本当によくみてもらっていたから、息子にしたら第二のおばあちゃんみたいなものなのだろう。

もう先生に抱っこしてもらえないし「あらま、こんなに大きくなっちゃって!!」と大げさに喜んでくれるコントみたいなやり取りもないんだなと思うと、すごい喪失感。

 

と書きながらまた涙が止まらない。

今の保育園は9年目になる(娘と息子の通園年数で)。

常に保育のプロで、時に良き相談者で、愛情深く子どもたちを育ててくれて、先生たちがいて初めて子どもの育ちが守られている。

息子もあと1年。残りの日々、大事に過ごそう。