子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「AIに取って代わられる仕事」の話

ここ10年くらい、AIに取って代わる仕事はこれだ、みたいな話が定期的にメディアに出てきたりSNSで囁かれたりしている。

子どもたちが大きくなる頃には社会の景色もずいぶん変わっているのだろうと思う。現に、私が子どものときには駅に切符を切るおじさんがいて、あのカチカチに憧れたものだ。

デパートにエレベーターガールがいるのも当たり前だった。

小さい頃はかっこいい、すてきと憧れていた仕事がおとなになったらなくなっていた。

 

それを思うと、機械化が進んだり、AIによる精密な判断ができることで機会に取って代わられる仕事があるだろうことは想像に難くない。

そんな職業の中に「医師」というものを上げている記事をときおり見かける。確かに手術はすでにAIによる指南で進めているものもあるみたいだし(ダビンチとか?)、医師の仕事が大雑把にAIに取って代わられるというのも一側面的には言えるだろうと思う。

でもそれは、私みたいなMSW(医療ソーシャルワーカー)とて同じこと。制度の案内であれば、私よりも機械のほうが遥かに正確に早く情報提供できると思う。

医療連携然り。これは他院もAIを採用している前提だけど。

 

でも、どう考えても当院の先生たちがAIにとって代わるか?というと、そのイメージは全く持てない。みんなどぎつく個性的だし、それぞれの視点をもっているからぶつかるときも多いけど、「ヒト」っていうかは「人を診ている」って感じがする。慈恵じゃないけどさ。

 

でも、それって永遠にAIが持てない視点なんじゃないか?と思う。たとえば、ついこの間のICでも「この奥さんだと多分、今のタイミングでICするとパニックになると思ったから、次回はお子さんにも同席してもらって話したいと思う」とか、そういう判断を奥さんの表情の微妙な変化でなさってた。

先生ってそういう感じ。

だから、そういう些細な判断の積み重ねで医療が成り立っていて、これをAIがやるには無理があるんじゃないか?と思う。

 

私の仕事も、きちんと人を見ていく目を持って向き合っていくならAIが取って代わるようなことは今しばらくないだろうと思う。

心をも読んで、人の微妙な気持ち、生育環境、社会背景の上に出てくる判断力を瞬時に想像する力がAIにあればまた別だけど。

 

子どもたちが大人になったときにどんな大人でいてほしいか?と考えると、なにか目に見えるもの、形になっているものだけじゃなくてその裏にあるものとか可視化されないものに気づいたり目を留めていく意識や、思考、想像力をもってほしいということ。

 

自分自身も気づけないことが多いし、そのときはこれがいいと思ってやったことでも「本当に良かったのか」と振り返ることもある。

そういうことの繰り返しと積み重ねで仕事がある。

AIがやることも増えるかもしれないけど、その分高度な能力が人間にはのこされているのだろうと思う。