子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

コロナワクチンを打つか、打たないか。

 

f:id:like_little_children:20210713214530p:plain

先日、Twitterを見ていたら65歳未満の人たちにも接種券が配られ始めて、実際に受けている人の話が出ていた。

Twitterでしか知らない人なのだけど、そこそこに近隣住民なので身近に勝手に感じている。

若い世代の人にとって(高齢者もだけど)、ワクチンを打つことへの意味とか価値って見いだせているのだろうか。

そんなことを急に考えてしまった。というのも、打ったその人は数日間、腕の痛みや頭痛、倦怠感などに悩まされているとかいていた。まだ1回目の接種だけども。

 

なるべく動かないで、休むしかない。ワクチンの副反応が出たときにはそういうふうに対症療法的にやり過ごすしかないのだけど、そもそもそのやり過ごすのに必要な時間は人によって異なる。症状が落ち着くまでは安静に。そうとしか言いようがない。

 

それでも私のような病院組織の末端で働くものとしては社是にも近い感じでワクチンを打ったし、打つことによる安心感=病院に迷惑をかけない(というすごく日本的発想)というものがあったから、それなりに打つ意味を感じていた。

だけどな。だけどもしも在宅勤務とか、全然医療福祉と関係ない仕事だったら2回もわざわざ痛い思いをすることにメリットを感じただろうか?などと思ってしまった。

 

もちろん、打つことによるメリットは1にも2にも、コロナになったときの重症化を防げることにある。

だから今の私は打たない選択肢はないのだけどこれは病院にいて身近に先生とそういう話ができるから納得して打っている。だけどそういう情報がメディア越しにしかわからない場合は「本当かな」という猜疑心によって打つメリットが曇ってしまうこともあるだろうと思う。

 

そういえば今春、いち早く打った姉は「まあ、打ちたくないけどみんな打ってるから打たないって言えないでしょ。目立ちたくない」みたいな消極的な理由で打っていた。看護師のくせにワクチンの重要性とか深く考えないのは姉っぽい。まともな組織で働いていて本当に良かったよ。

 

病院で働いてなくてもきっとトンデモには騙されなかったかもしれないけど、mRNAとか聞いただけで怖いって卒倒していたかもしれない。

 

そう思うと、住む世界で見えるものも感じることも変わるんだということを改めて思う。

打たない人がいても、それもその人にとっての生きてる社会・世界の中での基準で判断しているのだから仕方ないというか、打たないことがおかしいとも言えない。

 

まあ、色々差し引いてもコロナにかかったときの辛さはきっと大変だから軽症化をはかるためにも打っていたほうが良いとは思うけども。

新しいワクチンゆえ、副反応がそこそこに強くあるゆえに打つことは強制できないのも一理ある。