子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

買い与えないという虐待。

今朝、ふとツイッターを見ていたら、年頃の女の子を育てる親が生理用品を子どもに買ってあげない、というのがあった。

ツイートしていた方は、それを知ってこっそりその子にあげているけども、それがバレると親に取られてしまうという本当に悲惨なものだった。

 

以前にも書いたけど、子どもにとって家はどんな場所であるべきか?自分はどんな場所として家を位置づけたいか?と考えたときに(まだ子どもが生まれる前に考えた)「そこは安心であり、安全な場所」と思った。

 

私見になるので専門職としての私のどうのこうのは一旦抜きにして、個人的には必要なものを子どもに与えない行為は虐待になるのではないかと思う。精神的・身体的虐待に。

 

子どもの成長を否定したり拒絶するものであり、それ自体が子どもの生存や基本的人権をないがしろにする行為に思えてならず、腹が立ったり悲しくなったりして、いったいどうしてそんなことをする親がいるのだろうと思った。

 

もしかしたら、親自身も自分が成長していく中でとくに第二次性徴で遂げる心身の変化に親が拒絶をしたのかもしれないし、自意識過剰のままおとなになってしまったのかもしれないし、そのあたりはわからないけど、世の中には無数に「親に悩む子ども」が存在することが、なんとも悩ましい。

 

家が安全地帯であってほしいとおもうけれど、そうではない現実があるからこそ、学校とか図書館とか、公益的な場で子どもが救われる場所が多く用意されていてほしいと思う。

 

虐待という言葉が厳しく受け止められるとしても、やっぱりそれ以外の言葉でうまく言い表せない。

私自身、この1年の娘の目まぐるしい成長スピードに追いつけなくて、私よりもはるかに超えているものを多く持っている娘のあとを追いかけている感じだけど、「一つでも娘の成長を妨げない」。

これもまた、親の役目。

 

十分に必要な食事量もしかり、睡眠もしかり、勉強もしかり。

でもどんなに頑張りたくても、今、この0-20歳までの20年間がその後の人生の基礎の時期。

成長するのは娘自身だけどその成長が伸びやかで健やかであるように、やっぱり家庭も健全で健康(安全で安心)であるべきではないかと重ねて思う。f:id:like_little_children:20210305230554p:plain