子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

女性が社会で生きるとは

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立て続けに高齢の独身女性を仕事で担当している。

性格はそれぞれ、さまざま。だけど、社会の中で「女なんか」とか「女のくせに」と言われながらも定年まで仕事を全うしたり、道を切り開いてきた人たちだ。

面談の中で、昔の話に話題が及ぶことがある。

もうすっかり彼女たちにとっては「過去」なのだけど、その時はどんなにか悔しかっただろう、嫌な思いをしただろうと思うようなエピソード。聴いているこちらの胸も痛くなる。

ある人は、教授に学ぶために入った大学院で、男社会だった分野だから女子トイレもなく男子トイレに入らざるを得ず、覗かれた、とか、夜中に部屋の扉がほんのわずか開いて人の気配がした、とか、「女だからって笑ってるんじゃねぇ」と言われたとか...。

 

ある人は、先日の森元首相の発言に怒り心頭で、「女性は話が長いっていうけど、そもそも女性に発言をさせる教育もさせていないし、女性を低く扱ってきた。あの人の言ってることは見当違い!」と。

 

戦前、戦中に生まれて「そろばんができるなら」と就職してお茶くみをしたり、雑用をしたり...。

全部が辛いことでもなかっただろうけど、やっぱり「女はね」「女だから」「女のくせに」と言われるのが当たり前のような、男社会の中で何十年も揉まれることの苦労は、私には計り知れないものがある。そのエピソードのひとつふたつを聞くだけでも、彼女たちの通った道の険しさを思って、尊敬の念が湧く。

 

今の時代は、恵まれているのかもしれない。私の直属の上司は女性だし、思い返せば中学以降は「男女平等が当たり前」という価値観の学校や企業でしか身を置いたことがない。だから彼女たちの話をリアリティをもっては知らないけれど、今も形を変えてそうした価値観は日本に根強く残っている。

熱が出ればお迎えは母親、家事を担うのは妻(女性)という家庭も多いだろうと思う。

 

そういえば結婚してた頃、私も「母親失格だ」とか「妻なのだから夫を尊敬しろ」とか言われてた。

リアリティをもって知らない、というのも真に受けるほどのことではなくすっかり忘れてたのかもしれない。

 

自分の中にも「女性ってこういうふうに振る舞ったほうが良い」とか「女性だからこうしたほうが良いのか」という判断が無意識のうちにないとも言い切れない。

 

「女性が社会で活躍するにはガラスの天井ってあるのよ」としみじみ語ってくれた担当の患者さん。そこに屈せずに仕事を続けてくれた何世代もの女性たちがいたからこそ、今の自分達が当たり前のように社会に出て子どもがいても仕事が続けられているんだと思うと、娘たちが成人する頃、もっともっと男女差もなく働ける社会であってほしいし、「女のくせに」なんていう人が遺物になっているといいなと思う。