患者さんの部屋を訪ねたときのこと。
テレビになにか貼ってある。よくよく見ると、梅沢富美男の切り抜きみたいなものを引き伸ばしてカラーコピーしたもののようだ。
「好きなんですか」と聞いたらにっこりうなずいて「うん」。
いくつになっても、心を慰め、和ませる何かを持っている(知っている)ことはすごく大事。患者さんの笑顔を見て改めて思った。
舞台なども見に行ったことがあるという。
舞台で「女形」をしてたっけ?くらいのことしか知らず、最近は辛口コメンテーターとか俳句とかバラエティでやってる印象くらいにしか認識してなかったけど、思いがけず身近なところに熱烈なファンがいた。
スマホでブログが見られないのが、患者さんの目下のストレスのようでもあり、その意味でも早く退院をさせてあげたい。
患者さんたちを見ていると、つくづくと思う。
90歳を過ぎたとか、100歳まであと少しとか、そういう患者さんたちにとって、その年まで生きていることが「未知の世界」だろうな、どんな心境なのだろうか。と。
私の祖母も95歳で元気に過ごしているらしいけど(施設入所で会えず)、祖母の両親は若くして病死していて、90歳を過ぎて娘が元気にしているなんて、思いも寄らないだろう。天国で目を丸くしているに違いない。
母も祖母について「まさかこんなに長生きするとはね...」と言っていた。
私はおばあちゃんが大好きで、家族はもれなく誰でも元気で長生きしてほしい。
母は「あまり長生きするのも...」と考えるタイプで、考え方も違う。
だけど、この超高齢社会に生きているわれわれ(あまねく日本に住む人)にとって、
一世代前になかったことを受け入れ続けて対応し続けることの大変さもまたある。年金の問題も、保険(介護や医療)の問題ももちろんそうだけど、死生観とかも揺さぶられるというか。
日々、ミクロ的に患者さんには関わっているけれどついつい思いを馳せてしまうのは、「健康だけど知的障害のある方、内科的に疾患はないけど精神疾患はある方、超高齢者...」などなどへの対応についてだ。
過去にはなかったような超高齢社会の中で「どのようにサポートし続けていくか、何を必要としているのか」を誰も経験していない時代の課題に対応しないといけないんだろうな、本当にこれでいいのだろうか、と。
かつてはすべて家族の問題、と各家庭に問題を押し付けて蓋をしてきたかもしれないけれど、課題も解決法もシェアをしながら生きていく社会に変えていく時代なんじゃないか、なんて考えたりする。
実際にはなかなか難しいのだけど、家族の思い、本人の思い、現実の課題にうまく目配りしながら適宜対応しているケアマネージャーさんの姿を見ていると、介護とか福祉の前線に立つ人たちは、時代の先端にいるんではないか。
そんなことも考えた。