子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

倫理とは。

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今週、どうしても消化しきれないことが仕事であった。

そういうときはいつも必ず上司や先輩に相談・報告する。社会人2年目からはかなり意識的にそうすることにしている。私の中の未消化は、私個人の問題でないことが多いから。

今回は、「患者さんの治療方針について」だった。

今年医師になりたての先生とのチームで診ていた患者さん。まあ、私の立場で医療的なことも何も知識も資格もないから、役割としてはおもには退院支援ではあるのだけども。

 

でもその過程で治療方針が退院先を大きく変えることがあるから、経過も含めて一緒に話に加わらせてもらっている。

さらに、チームには看護師やセラピストも当然いる。日々のケアやリハビリでその方の予後に大きな影響を与えるから私以上に治療方針とは切っても切れない人たちだ。

ことの発端は、降って湧いたように手術を決めた先生の決断にあった。

これまでも「こうしていきたいね」という確認をしあい、時期を相談し、ご家族にもICをして不明点や不安を取り除いて...そんな積み重ねをしているのであれば、なんの問題もないのだけど、本当に青天の霹靂で勝手に決めてしまった。

しかも、執刀医は他科医師。

 

こんな私でも、結構なレベルのやぶ医者かよ!!とか倫理観の欠如しまくってるんじゃないかと思う医師と出会ってきたしぶつかっても来た。

だけど、ここまで正直に行ってゲスな医師とは出会ったことがない。

 

患者さんの生涯を左右するような重要な決断に対して、考える暇を与えず、直接のICもせずにただひたすらに手術に向かっている。

自分、切らないくせに。

 

私の中に不満が溢れて溢れて仕方がない。

冷静さをいささか欠いた私を誰かたしなめてくれ、私がおかしいって指摘してくれ。そう思ったものの、相談する先々で「そりゃあかんで」と言われてさらに疑念と鼻の穴をふくらます私。

 

この怒りは一体どこから?なにこれ??この正体は??

仕事の帰り道にふつふつ湧く怒りの源を考えていたら「ああ、倫理観のないやつと一緒に仕事してるし倫理観のないやつが私嫌いなんだ」というシンプルな壁にぶち当たった。

 

倫理観、とは。

各専門職、というか社会で生きるすべての人間が大なり小なりの倫理観を持って生きているだろうと思う。

その倫理観て、何も「命は地球よりも重い」とか「不倫は文化」とかそういう個人的な価値観の話ではない。

 

「私はこれで正しかったであろうか」「正しいとはなにか」「善とはなにか」。

 

これを繰り返し自分に問い、人に問いかけ、また対話して自らに問いかける作業のことである。

と私は思う。

その働きや思考の動きをしないところに倫理の価値など立ちのぼっては来ない。

もしかしたら一生、その問の答えはないかもしれない。だからこそ、問い続けることをやめてはいけないし諦めてはいけないし、その「これでよかったのだろうか」「正しかったのだろうか」という問なしに私たちは動くべきではない。

 

一面的には自信をもってクライエントに解決方法や道筋を提示することがあるだろうけど、それは「正しいとはこれです」ということではない。

「Aに対してBというこたえ、ないしCというこたえがある。BにはDとEがあり、CにはFとGがある」と丁寧に中身を説明することが必要なこと。

 

なんかそういうのを全部すっぽかして、全部患者さんと家族のせいにして、全部全部自分の責任から逃れたい、そんな思惑が見え隠れする態度に心底不愉快だった。

 

ただ、私が不愉快だったという個人的感情で終わらせてはなんの発展も解決もない。

ひとまず問題については、今後話し合うことになった。

相談できる多職種、同職種の先輩がいる。いい先生もいる。それだけでもすごく恵まれている。ぶつかることもあるけど、患者さんの人生や生き方に関わることは大事に守っていきたい。