今、読んでいる本で「愛している」と言う言葉はなかなか馴染みがなく、中世の宣教師が日本に来たときに「神様のお大切」と愛を訳したということが載っていた。
ああ確かに。大切っていう言葉に込められた情感や思いは、愛そのもの。
自分の子どもたちは本当に大切な存在だ。
その子どもたちがこの冬、元夫のところに泊まりに出掛けていた。二人ともすごく楽しみにしていた。パパとの時間はすごく大事だ。
私もそれは全く否定するつもりないし、向こうの言ってきた期間、遊びに行かせた。
今日、帰ってくるから駅までお迎えに行ったらやけに息子がしょんぼりしている。
疲れたかな?眠いかな?ちょっと体調良くないかな?
息子はいつもの元気さがなくて大丈夫?って話しかけても静かに頷いたり、首を横に振ったり。
とにかく早く帰って休める体勢になれた方が良さそうだと思って、すぐにおうちに帰ったのだけど、帰りの電車で娘が思いがけない話をした。
「あのね、○くん(←弟)はパパにいっぱい叩かれてたんだよ。さっき新幹線の中でもほっぺ叩かれてた。
毎日大体叩かれてた」。
ただでさえ、希死念慮のある息子。
年齢特有の不安定さか、息子の特性かわからないけど、直ぐに「死にたい」と口にして思い詰めた顔をする。
ある時など、身を乗り出して本当にビルから降りようとしたり。目が離せない。
その息子が帰り道に「僕はやっぱり早く死んだ方がいいんだなって思う。生きてても幸せじゃないし」と言う。パパとたくさん遊んで本当は楽しいはずなのに。
息子の心の中の柔らかいところがどんどん冷たく固くなってしまっているのではないか。そう思うと本当に苦しいなと思う。
何かにすごく喜んだり、嬉しくなったり、涙が溢れるほどに感動したり。少なくとも息子の中で、そういう時間もあるはずなのに、自分が頑張ってもうまくいかないことで怒られたり否定されてしまうことが多いんだろう。
「大丈夫だよ。ママはあなたと生きていきたい。娘ちゃんも一緒に」。それで少しだけ笑顔が戻ったけど、この年末年始、のんびりと子どもたちと過ごそう。子どもの疲れた心がほぐれるように。