やや長いタイトル。
でも聖書を一通り読んだ、もしくはキリスト教系の学校に行ったことがある人、クリスチャンなら誰でも知ってるすごく有名な一節ではないかと思う。
テサロニケ 5章16節の聖書の言葉。
先日、友人に「あなたは辛いとかもう嫌だとか思うことはないのか?」と聞かれた。
仕事8割の平日と家事8割の週末と、日々あっという間だけど、職場に向かう道、帰りの道、ふとした時にいつも感謝でいっぱい。
ああ、神様には感謝しかないなって。
先日、私のミスで娘に迷惑がかかりそうな時もお祈りして神様に心から謝って、「だけど神様がこの教訓を通して私をもう少しまともな母にしてくれるかも」など考えていた。
どんなことも、きっと神様が最善を備えてくださっている。
私はそれでも人が病気になるとか死ぬことは受け入れがたくて「どうして??」と神様に責め立ててしまう。
自分がもしそうなっても受け入れ難いだろうと思っている。まして、自分の子どもがそうなったらと思うだけで発狂してしまう。
それを思うと、健康で生きていることは何にも代え難い感謝なことで、日々の苦労などどうでも良いことに思えてくる。
仕事でも、子どもに対してもなるべく爽やかな心で臨みたいと思っている。
明るくて颯爽として仕事するのと、思い詰めて仕事するのとで、周りに与えるものが違いすぎる。
家で疲れ切ってる時もあるけど、なるべく子どもに対しても溌剌と接していたいなと思う。
明るくて面白い方が、暗くて怒りっぽいより断然いいから。
神様は、自分の置かれた状況によらず、喜んで、祈って、感謝しなさいと言っていて、なかなかその境地になれるほど人間育ってないのだけど、神様がいるから生きてるなぁと思うことには喜んで感謝していきたいと思う。
ふと、そんな拠り所が私の心の原動力なのかもね、と友人の問いに自分なりの答えが出た。