子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

男児、女児、育児。

娘と息子がいて、二人を育てていてあまり男女の差を意識したことはない。

時々、年齢差を考えてかける言葉や話す内容を変えることはあるけど、それにしても基本的には同じ。

  • 相手が嫌だと言ったらすぐにやめること
  • 人が嫌だと思うこと(うるさい、暴力、暴言など)はしない
  • 道や通路でしゃがみ込んだり座ったりしない
  • 汚いことはしない(不潔なところに触ったり、手を洗わないとか)

我が家はおおむねこんな感じか。

細かい注意は無数にしているけど、おおむねはここに大別されていくと思う。

今日、Twitterを見ていたら、考えさせられるツイートが投稿されていた。

これ以外の投稿もちょっと見てみたのだけど、「男性は圧倒的に性犯罪の加害者になる」→「ならばそれを食い止めるのは幼少期からの躾である」→「日々の子育てにおいて男児が女児をじろじろとみたりせぬよう、躾を」ということらしい。雑な要約だが。

 

息子も娘も距離感がすごく難しそうだった。3歳の頃までは、お迎えにくる友達のお母さんに抱きついたり、寄りかかったりしていて、当時お迎えに行ってくれてた母(子供達のおばあちゃん)をドン引きさせたし、随分怒られていた。

それでもなかなか子どもの態度は改まらなかった。

私も気を遣ってなるべく離すようにしていた。

それでも本能的に走っていってしまうことが多かったなと思う。

 

それがいつしか治まっていって、今は全くそんな素振りはない。

これって親の躾よりは、子どもの成長や他者との距離感を学んでいった結果なのだろうと思う。

 

そうした人とのコミュニケーションや関わり方を体得していくことと、性犯罪のつながりはどうなのだろうか?と投稿を読んでしみじみと考えてしまった。

性犯罪にもさまざまな種類があるだろうと思う。病的なレベルの人もいるだろうし、「その場のノリで」のような浅はかで愚かしい人もいるだろうし、犯罪という認識すらなく行動に出てしまう人もいるだろうと思う。

一口に言ってもそこには幅があるだろう。躾でどこまで制御できるのだろうか。

当然のことながら加害者にならないようにというのは思うのだけど、私は息子に対しても娘に対しても、性別関係なく人に対する敬意と尊重を忘れずに接して欲しいということを強く願っている。

おそらく、そういう気持ちがいつも心の真ん中にあれば、万が一性犯罪に傾きそうな時に自分を踏みとどまらせてくれるだろうし、同性の人に対してだって弱っている人を助けたり守ったりできるようになるだろうと思う。

理想論かもしれないけども、子どもたちにはそういうふうな心を持っていて欲しい。

 

子どもに注意することはこうした抽象的な話はしづらいけど、いろんな事例を通してたとえ話を聞かせながら、自分はどうやって人と触れ合い、関わっていくと良いかを考えてもらうようにしている。

 

そのなかに、一度も「人に近づいてじっとみない」という話はしたことがなかったけど、自分が嫌だなと思うことは徐々にしなくなっていったり、「そういうのはやめてほしい」と当事者に言われて初めて気がつけることもあるのかもしれない。親の躾もすごく大事。

だけどそれと同じくらいに経験を通して学ぶこともきっとあるんだろうなと思ったり。

いろんなことを考えさせられた。