子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

親から子へ。

子どもたちを見ていると、当たり前だけど「随分私とは違うわ」と思うことがある。

姉弟が一緒になるとすごくうるさいし、取っ組み合って遊んだり喧嘩したりしている。癇癪持ちでとにかく1日1回以上は拗らせている。息子など、朝のルーティンみたいに拗らせている。

靴下がうまく履けないとか、娘より早く歯磨きができなかったとか。理由は何でもよくて、とにかく「いや」なのだ。

娘も娘で、本当にどこにもスイッチないのに急にギャン泣きすることとかが保育園時代は日常茶飯事だった。

自分の子ども時代にそんなにさめざめと泣いた記憶がなくて「泣かない子ね」と親に言われて育ったから「私はあんまり泣かない子」という自意識だった。

 

それが、我が子たち。どこで覚えたのかどうしてそうなるのかという反応の連続。私の好きなものを好きになれとは思わないけど、志向の違いみたいなものもしばし感じる。

私と違って、細かい作業がすごく上手。

 

これも、あれもわからない、何なんだと思うこともあるし、うるさいと本当にイラッとさせられる。だから「うっさい!!!」と怒鳴ることもあるし、特に外で静かな空間でも所構わず走り回るから本気でドスを効かせて怒ることもある。

 

家でうるさい時は大体は放置。そしてギャン泣きの時は抱っこ。

子どもにとってはどうしてほしいのか、と思うと癇癪起こしている時は何かすごく溜め込んでいた思いがあった時。ある程度発散した(ギャン泣きした)あと、抱っこすると少しずつ思いを言葉にしてくれる。言葉にできない時も落ち着くことが多い。

 

自分自身が経験しなかったことだけど、私と子どもたちの間では大きくなっても抱っこするということによって子どもが受け取れる安心感は大きいのだろうと思う。

 

私が子どもに対して「私とは随分違うわ」と思うように、母もまた、「さんざんしつけたのにこんな子どもになるとはね。親の責任じゃないわよ」と片付けの不得意な私について常々愚痴っている。

私も申し訳ないと思う。母のいうような「きちんと」は完璧なまでに脳に思い浮かぶのに、実際の私の行動はかけ離れている。

どうしてこうなっちゃうのか。私にもわからない。

母はようやく諦めてくれている(出産後、40年以上経つしね!!)。

 

それでも「こんな部屋がぐちゃぐちゃなの、躾のせいにされたくないわ」と今もいうから、相当に忸怩たる思いがあるのだろう。ごめんね。

 

でも、面白い。子どもは親の通りに育たないし、よくわからない。

違う人格が自分から生まれてるっていうことの不思議さ。

子どもに対して、期待する気持ちと、子どもは私じゃないっていう当たり前のことの自覚と、そんな日々。