子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

子どもと自分。

小さい頃からこどもが大好きだった。

私には下のきょうだいがいなくて、小さい頃は何度も母に「妹がほしい。弟でもいい」とほしいほしいとお願いしていた。が、「二人で十分」というのがいつも母のこたえで、とうとう私には「下のきょうだいをかわいがる」という経験がなく成人した。

なので、子どもがほしいなと結婚したときにおもっていたし、わりとすぐに妊娠したのでホッとした記憶がある。

そのくせ、子どもの世話に関しては全然調べもせず、出産準備をしたのも産休に入ってから。

しかも、「子どもが生まれたらできなくなるから〜」と一人で食べ放題行脚をするという自堕落っぷりだった。

 

子どもが生まれてから初めて授乳の間隔も子どもがたくさん寝ることも知った。

寝ない子どもがいることは、ネットで知った程度で、自分の子どもが「子どものすべて」だった。

こんな適当な人間がよく人の親になっているなぁなんてたびたび思う。

 

最近もTwitterで見かけたある人のつぶやきが物議を醸していた(ように見えた)。

 

「ゴロンと放置」や子どもへ抱っこしたりプラスアルファ関わることを「サービス」と表現する言葉の感覚は相容れないものの、私だって似たようなものかも...とおもって読んでいた。

子どもが「ご飯!」って言ったって「洗濯干し終わってから作るからね」とか、シャワーのときは夏場など浴室の外に寝転がせて1分置きくらいに様子を見て自分もシャワーをしていた。

冬場はスイマーバーを使って、子どもを浮き輪で浮かせたり。

あとは浴槽に湯をはらずに、浴槽内にベビーチェアを置いて座らせてた(これが一番よくやってた)。

 

泣いてても抱っこできないことはごまんとあったし、子どものcomfortを尊重したいけどそれができないこともあるって割り切ってしまってて、素通りしてきたなぁなんておもった。

自分がやってきたこと、子どもとの関わりにおいてあまり深く考えもせずにその時その時を過ごしていたのだなとおもう。

 

この方の投稿やそれにまつわるTwitterの人々の反応が「子どもが泣いているのに抱っこしないんですか!!!!」というものに、少しびっくりしてしまった。

みんな逆にすべての手を止めて抱っこしてたのか....と。

 

緊急性がないと判断した場合、区切りがついたら抱っこしていた。泣いている赤ちゃんを抱っこしている時間はすごく好きで、泣いているのにだんだん眠くなってふにゃふにゃになっていって寝落ちするのがたまらなく天国だなと思っている。

 

昔読んだ吉本ばななの小説に「泣きたいときは泣きたいだけ泣けばいい。泣き止ませようっていう努力をしなかった」という親の話だったか、そんな描写があって、「子どもが出す感情を無理に抑えないほうがいいんだな」と思ったことがあった。どの小説だったかすっかり忘れちゃったけど20年以上前に読んだその小説のことが心に残っている。

 

癇癪を起こしているときは「うるさいな」って思うこともあるけど、その時子どもがどうしてほしいか、抱っこしてほしいのかほっておいてほしいのか聞きながら「抱っこして」なら抱っこするし、「抱っこしてほしい?」って聞いて、それがしてほしくないことであればしない。

 

子どもとの関わりに正解なんてないし、各家庭でそういうときの対応には差が結構あるんだろうなって思う。何事も極端はあまりよい結果を生まないと思っているのだけど、「こうあらねば」はなくて、いろんな日がありながら、一日を無事に終えていければいい。

 

ちなみに。

むかしむかし、息子が喘息で呼吸不全に陥ったときは、一度も泣かずにものすごく機嫌の良い日々だった。泣かなくても体内が恐ろしくなってることがあるから、本当に要注意。