子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

大切ないのち

ある夏、元夫の親族関係の方がお子さんを亡くした。

待望の第一子で、今か今かと誕生を待っている、いつ陣痛が来てもおかしくない時期のことだった。

そのご夫妻の悲しみを私は計り知ることはできない。

それ以来、ふとした時にそのことを思い出し、息のないまま生まれた赤ちゃんのことを思い出して泣きそうになる。

Twitterでも時々同じような状況に遭われた方の投稿を拝見することがあり、その都度胸が締め付けられそうな、張り裂けそうな思いになる。どんな言葉をかけていいかもわからず、言葉の力の弱さを思う。私が言葉をもたないということでもある。

 

娘が生まれるとき、私はほとんど強迫観念に近いくらいに「お腹で子どもの心臓が止まってたら」と考えては涙が止まらない時期があった。

臨月になって「きっと今何かあっても最新鋭の医療があればこの子は生きていけるかしら」と思えるようになって少しその恐怖は和らいだものの、へその緒が首に巻きついているかもしれない、知らない間に心音がないかもしれない...と1日に何度かはその考えが頭によぎってそれにとらわれることがあった。

 

破水して入院したけど、陣痛もなくお腹にベルトみたいなのを巻きつけて動きの確認などをモニタリングしてたけど、とにかく子どもは動かない。心臓は動いてることがわかってたけど、体が動いてなくてそもそも、胎動もあんまり感じたことがなかったから「動けない子どもかもしれない」とすら思っていてその覚悟を気持ちだけはしていた。

結果的には陣痛促進剤を使う数時間前に陣痛があって分娩台に乗ってからものの30分も経たずに生まれて超安産で、陣痛から数えても2-3時間での出産だったと記憶している。

 

無事に生まれることが奇跡というのは大げさではない表現で、なんて尊いのだろうと思った。

この世で産声を上げることができなかった赤ちゃんもまた、その姿はとても美しく、可愛い。いのちはなんて大切なんだろうと思った。

 

子どもたちが幸いにも元気に過ごしている今日という1日も本当に感謝なことだし、これからも子どもの心も体も守っていけるかなという不安と恐怖と、一緒に生きていく楽しみも考えながら過ごしていきたい。

 

お子さんを死産で亡くされた元夫の親族のご夫妻に、この度新しいいのちが誕生した、安産だったとのニュースを聞いて、心底安堵した。

私が安堵したのかは自分でもわからないけど、誕生ってやっぱり言葉に言い尽くせない何かだなと思う。

 

そして、もう一つ。お腹の中に赤ちゃんがいるって嬉しくてワクワクするだけじゃなくて私にとってはプレッシャーと不安と恐怖が大きかったから、母親の性が背負うものって大きいなと思う。

 

子どもとたくさんの景色を見ていきたい。

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下田に行った時の景色