子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

大家族のこと。

詳しく書くとあっという間にバレそうなのだけど、元夫はそれなりの大家族の家庭で育っている。

家族が多いと楽しいだろうし、きょうだい仲良く助け合えるし、良いなと昔思っていた。それこそ「天までとどけ」とか見ていて岡江久美子さんのお母さんが本当に太陽のようで、ひまわりのようで素敵だった。

確かあの間取りは団地の2部屋を一家族で使っていてベランダで行き来してたっけね。今思えばそんなことできる家ってまずないだろうけど、あのドラマをリアルタイムに見ながら、大家族への肯定的感情と羨望の眼差しでをむけていた。

 

大家族への見方が変わったのは、元夫に出会ってからだ。

たまたま彼の家庭がそうだったのかもしれないけれど、大家族ゆえに「学費は中学までしか出さない。高校は行きたいなら自分で行け」という教育方針だったという。それも高校の入試が終わって合格した後(しかも県立高校)に言われて、当時、元夫は言葉通り泣く泣く入学を諦めたという。

努力していることを知っていた母親も助けを出さなかったというから母親も共犯ではあるが。

 

元夫が今の彼になるには通らざるを得なかった、避けられなかった、選べなかった幼少期や青年期の家庭環境、境遇があるのだと思う。

その話を聞いてから、多くの子どもに囲まれて過ごすのは良いけれど、彼らの行く末までも親としては責任があるのではないかという思いを強くした。

もう一つは、社会福祉士の勉強の最初に虐待について学んだ時に、夫婦間の性暴力も含めてDVや虐待を学んだ。

多産であることの裏には、家族計画がきちんと立てられてない、(多くの場合は妻)配偶者の同意がないままの性行為。

こうしたことが隠されている可能性がある、と。

 

大家族の家がそうとは全く思わないし、身近にも仲良しの大家族がいるからごく稀なケースであるとは思うけれど、それでも一定数そうしたことがあるのだろう。元夫のところもそれに近いようなことを聞いていたから、虐待の講義の時には合致することが多くあって背筋に冷たいものが走った記憶がある。

 

教育だってなんだって各家庭のやり方や考え方があるから正しいものなんて一つもないけれど、子どもが多かろうが少なかろうが、子どもの進路に対して頭ごなしに「金は出さない」とか言わず、こどもの主体性も尊重して育てていけたら良いのだろうな。

 

大家族は楽しそうだし、とても素敵だなと思っていたのに、身近にいたサンプルが目を覆うような幼少期を過ごしていたせいで、すっかり疑心暗鬼になってしまった。