子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

姉と散歩

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何十年ぶりだろうというくらい、久しぶりに姉と1時間程度近所を散歩した。

久しぶりだな〜と思うのと同時に、姉が「ちょっと歩いてくる」って言ったときに「行く行く!」ってついていく感じは、幼少期から全然変わってない。

道すがら、他愛もない話をして(勤務先の病院の休みのことなど)いたけど、私ばかり話していて、はっと思って黙っていたら「いいよ!話してて」と言ってくれて、嬉しいなと思った。

おとなになって、友達や元夫などと過ごしていてなるべく話すよりも聞こうっていう方が多かったけど、元来ただただしゃべってたいタイプで、聴いてくれる人がいるとすごく安心する。

姉はなんだって聴いてくれるし、別に「そう」「そう」って感じなのだけど、否定もなくて時々返してくれて、姉にとっては自然なのだろうけど久しぶりに味わった心地よい感じ。

 

姪っ子もすっかり思春期の女の子なのだけど「反抗期です」みたいなこともありつつ、すごくお母さん子。

姉は気取らず自然にいるから、安定感が半端ないっていうのもあるからかな。

 

コロナのこともあって、子どもたちの年齢差も大きくて会う機会はそう多くないけど、小さい頃から積み重ねてきた時間とか二人でたくさん共有してきたことがあるからきょうだいは特別だなとすごく思うし、自分の心の安定ってこういうふうに離れていて普段ほぼ会話のない姉でも一瞬で姉・妹になれるからなのかもしれない。

 

家族って閉ざされた空間ゆえ、家族がすべてになるようなあり方は危険だとかねがね思っている。

だけど、同時に家族の各メンバーとの結びつきとか信頼とか、時間や経験の積み重ねが今の自分の固有の核になっているなぁと思う。

一見矛盾しているようだけど、どこまでも姉のことを慕いつつも、普段は離れ離れでそれもまた全然悪くないって思えている。

自分の世界を、人生を生きられるのは私の中で安定した「核」があるからなんだろうと思うと、姉という存在がいかに大きいかを感じている。