子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

仕事も子どもも大事

似たようなことを何度も何度もブログに書いているけど、いつも思う。

「子どもと仕事とどっちが大切?ってナンセンスすぎる」って。

どうして粒度の異なるものを一直線上に考えるのだろう。

ただ、新型コロナの時代にあって改めて仕事とは?子育てとは?と考えるきっかけになった。

たまたまこんなお題があったから乗っかってみることにした。

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て

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by オリックスグループ

 

仕事と子育てというトピックスで最新で思い浮かぶのは4−5月の緊急事態宣言下のこと。

私は仕事がら在宅ワークができないため、緊急事態宣言中も毎日同じペースかむしろ忙しいくらいだった。

我が家は仕事がら保育園や学童を使わせてもらったけど、保育士さんや学童の先生たちはさぞ大変だったと思う。社会全体がピリピリとしていたし、毎日「今日も大丈夫だった」を繰り返しながら日々が過ぎていった。その「大丈夫だった」の裏には家庭はもちろん、保育園や学童でも感染予防の徹底がくまなくされていて子ども相手に精神的疲労はいかばかりかといつもありがたく、申し訳なかった。

 

ちょうどその頃、部署の人がコロナと関係なく諸事情ですごく少なくなって自分が休むわけにもいかず、毎日の健康管理を第一に仕事を続ける他なかった。本当にお世話になっている保育園や学童には感謝と申し訳ない気持ち。

そんな中で、自分が生活や仕事をしていく上で保育園や学校という機関があるから外に出られるんだなということを改めて確認する機会にもなった。

私の勤務先の病院でも新型コロナの中でも他の病気になって治療して入院継続する人はいらっしゃった。もし私たち病院職員がみんな「コロナだから自粛する」って言って休んだら助かる命も助からないし、家族が全て引き受けねばならなくなる。

 

「仕事と命とどっちが大事?」って問われたときの違和感はここのあたりにあるのかもしれない。仕事を通して人の生き死にや少なくとも生活や人生に大きく関わっているけど、その役割を全部やめて子どもの命を守り続けるというのも一つの道だろう。

だけど、多分これは私個人の価値判断として、「人は社会の中で生きている」=「人は人に助けられながら生きている」っていうのがあるから、預けて働くという選択が私にとってはすごく自然だった。

そうじゃない人もいるだろうし、それはそれで全然良いことだと思う。

新型コロナ禍において普段可視化されないこういう価値観がお互いにあらわになったり、それこそ誰がどういう仕事をどこでしていると言ったことも改めて意識させられる時代になったなと思う。

 

良いとか悪いはともかくとして、社会がいろんな価値観や思いや状況に置かれた人によって構成されていて、その幅の広さや豊さ、グラデーションみたいなものがある。

そのいろんな幅の広さや深さが包括的に受け入れられていく社会であって欲しいと思う。

子どもたちは、新型コロナ禍で保育園や学童を利用した圧倒的マイノリティーだったけどマイノリティーであることのストレスもそこから見えてくる景色も、子どもがいつか大きくなったときに想像したり思いやったりするときの「何か」に役立てられたらいいなと思う。