子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

ブログを書く意味

世の中には数多のブログがあり、私のように本当に単に思いついたことを書いたものもあるのだろうけど、はてなとかでトップページに来るものは大概、物凄い深い洞察があったり、専門家の知識が散りばめられていたり、なんだか高尚だ。

 

サイトを開設しておきながら、あんまり更新してなかった。

その間、Facebookも更新をほぼしなくなり、Twitterをたくさん眺めてたくさん呟いてきた。

でもな、ふと思った。

私、こんな少ない文字数で語りきれないし、本当に大事だと思うことにはもっとちゃんと向き合いたい。

最初は脊髄反射リツイートしたりコメントしていたことも、一晩経つともっと別の言い方ができたかもしれない、もっと別の可能性を元に再考したい。

そういう思いでいっぱいになった。

だからと言って、そういうTwitterのあれこれに対してブログを書いているわけではないけど、本当に向き合いたいテーマがあった時にブログにまとめようって思うと、Twitterで呟かないですむ。

Twitterで呟くことの多くは球のほんのわずかな面しか照らせてなくて、前後の文脈も奥行きも一切を切り取ってしまう。

 

もちろん、究極に削った文字数にこそ、真の表現が宿るという言い方もできるけど、よほどのコピーライターじゃないとなかなかそんな技術はない。それにふと思ったことや今の感想をそんなふうに練りに練った100文字ちょっとに収めることは難しい。

 

ブログって楽だな〜〜と思いながら最近は書いている。

 

なぜ急にそんなことを思ったかというと尊敬するソーシャルワーカーさんが、似たようなことを呟いておられたから。

呟きは、呟きでしかないのにものすごく拒絶感を与えたり、必要以上に寄り添ったりしてしまう。

特に拒絶された感というのは炎上の元にもなってる。文字数が少ない故に感情的なコメントが残りがち。

自戒を込めて、何をどう表現するかを考えたい。

呟く前にいつも一呼吸おく。

大抵は何書いてんだ?と思ってdeleteするのだけど、それで自分は助かったような気がしている。

あれ呟いてたら批判するつもりもないのにただのクソリプってことが嫌になる程多いから。

息子が「痛み入ります」(家政婦のミタ)っていうからそろそろ駄文も中断。