そんなに深くは語れない。
知らないことの方が遥かに多い。
だけど、なぜか最近、立て続けにアイヌの本を読んでいる。
緑風出版│アイヌ近現代史読本[増補改訂版](ISBN978-4-8461-1908-9)
この本や
books.j-cast.comこの本だ。
「日本は単一民族国家」と確信犯的に政治家が語るたびにアイヌや琉球との接点がない私でもすごく嫌な気持ちになった。
とはいえ接点があまりにも少なくて、法律が制定されていることもいくつもの情報の1つ、程度の位置づけでしか知っていなかった。
まだ読み途中の本もあるけど、やっぱりつくづく思うのはアイヌや琉球の問題を日本人が語ることの「限界」みたいなものだ。
歴史教育の中で語られる歴史の視点はあくまでも本州の日本で、その文脈の中でしか北海道の開拓史も琉球王国のことも教えられていない。本を読んで、アイヌの人にとって日本の近現代はどういう風に写っているか?ということを改めて考えている。
アイヌ新法の成立や最近オープンした北海道白老町のウポポイなど、ちょっと気になっている。内国勧業博覧会の人類館事件、とまでは言わないまでも通底するメンタルは似たものがあるのではないかと穿ってしまう。
アイヌの人が自分たちの文化と歴史を伝えたいと願って建設して、運営している施設なのか、オリンピックの開催時期を念頭に置いてオープンしたり法整備しているあたり、政府の思惑が透けて見えるような気がしてしまう。
沖縄のことはかなり前から気になるトピックスだ。
この辺りは読んだ本の中でもかなり記憶深い。
沖縄戦がなぜ沖縄で起きたのか、沖縄は本当に地政学的に要の地だったのかなどなどたくさんの疑問もあるし、今現在においても辺野古の問題、沖縄を袖にするような政府の態度などあからさまな沖縄蔑視を感じてしまう。
琉球王国ではなく、日本の一部としての沖縄なのに、こんなにも魅力あふれる場所なのに、中央府の沖縄政策があまりにも軽薄という印象。
東京で生活しているとそうした問題はあまり意識されない。アイヌの人も沖縄の人も一般的に「差別を受けている」ということも一見すればあからさまにはないかもしれない。だけども政策の中で民族として本当に尊重されているのか、歴史教育の中で語られているのか、と考えるとちっともそうではないと思う。それこそが差別の歴史、文壇の歴史に蓋をして何かの拍子にまた差別や分断を生み出しかねない。そう思う。
純粋なアイヌ人、琉球人はいないか、もしくは多くはないとしても祖先にアイヌや琉球民族だった人は今もいるし、その人たちが日本歴史の文脈のみでしか自分のルーツにアクセスできないとしたら、体系的に自分たちの歴史を知る機会もないことになる。
敗戦後75年という節目の年だけど、この国が今もたくさんの矛盾を抱えて都合の悪いことを都合よく解釈し直してここまできていることも注視していきたい。
これからも日本にいるいくつかの民族について個人的に学んで自分なりに知っていきたい。