子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

1980年

1980年に生まれたので、もう40年も生きてきたことになる。小さい頃はこの年は完全なる厳然たるおばさんであり、40歳と聞くと自分の親よりも老けていて、ものすごくおばさんだと小学生の頃は思っていた。

なので、平成生まれがもう30歳とか聞くと、嘘〜と思うし、自分はちゃんとおばさんであるんだということを自覚させられる。

 

ただ、その意識と自分の選択との間には乖離があって、小さい頃に想像していたおばさんお着る服、履く靴、持つカバンどれをとっても私が選ぶものはそうじゃないから、若作りと思われるのだろうか、とふと思ったりしている。

正確に言えば10年前から使い続け、着続けている服があるということだけども。

 

80年うまれって昔はすごく若い感覚だった。70年代じゃなくて80年代なんだ!っていう妙な自信?誇り?みたいな。

今となっては全くそんな感覚もない。

小学生の時にバブル経済とその崩壊を味わって、昭和天皇崩御してテレ東だったか教育テレビだったか以外全部葬儀の様子を報道している異様な正月明けのテレビとか(一生喪に服するのかと思った)平成になるって話題とか、覚えていることはたくさんある。

また今度書くけど、戦後50年の村山談話には中学生ながら痺れた。私と歴史の邂逅って言えるくらい、あれは私に相当なインパクトを残した。

 

阪神淡路大震災酒鬼薔薇聖斗の事件も、オウム事件も。

それに20世紀が終わる刹那と21世紀の始まりっていう歴史的瞬間。この時は病で床に伏してたけど生きてた。そのあとの9.11も記憶に新しい。

本当に時代を生き抜いてきた感が大きな事件を振り返っただけでも感じられる。

だけど、やっぱりこの40年で最低な政治情勢だなとしみじみ思う。

 

小さい頃の中曽根政権も私はすごく嫌だったけど、新党さきがけとかいろいろ生まれた時代もわからなくて気が遠くなったけど、どの政権よりもここ7−8年、そしてこれからの政権に未来を感じられなくなっている。

時代のせいだけでもないような、政治への不信感とか空虚な感じとか、なんだか漂うものが幾重にもある。

 

22世紀になる頃私は生きてないだろうけど、子どもたちは生きてるのかな。

その頃どんな地球になっているんだろう。

なんて残業帰りに考えた。