仕事の話。
一緒に働いている他職種の人で、とても真面目な人(Aさん)がいる。真面目だし真剣に悩んでいるから想定外の答えが相手から出るとそれを受け止めるのがとても苦手だとのこと。
そんな話をしていた矢先にふとこのツイートに出会った。
【うさぎ】受け入れるか決めるのも、私 pic.twitter.com/y9KxWwHFCl
— うさぎのみみちゃん😇『自己肯定感の低いワタシちゃん』発売中 (@usagitoseino) 2020年9月29日
Aさんは患者さんが退院後に送る生活について「これはこうしてください」「あれはああしてください」「これをする前にあれを」といった感じで手取り足取りと道筋を引いて相手にその通りに歩くように伝えていた。
患者さんには、患者さんのテンポや思いや考えがある。そのことも何度も聞いていたし私もAさんも患者さんから聞いていた。
私は「Aさんの思う通りにやってみたらいいと思う。多分、その方がスムーズだよね。自分で考えているから。困ったらまた連絡くださいね」くらいのすごくカジュアルな気持ちでいた。
だけどAさんは「え??なんで?言ったことと違うじゃん!」となってしまったらしく、そうかぁと考えさせられた。
Aさんがそういう風に受け止めてしまうことがいいとか悪いとかではなく、結局のところ選択権はあくまで当事者にあるんだよねというのが原則というか最後まで基本だなと思った。
これは自分の仕事にもあるけど、つい理想を押し付けがちになる。
「こうしたほうが‘絶対’いい」って思ってしまう。
多少強く勧めることはあるけども、「じゃない方法もあるかもしれない」とか、「この人の歴史、価値観の中から導き出す答えは違うかもしれない」とか、自分の中にその余地を残しておかないと、得てして独善的になりやすい。
特に、立場が本来対称ではあるけど、患者と医療従事者ってほんのちょっと非対称な感じもある。
関わる側はそう思っていなくても、自分が患者だったら医療関係者に言われたら「いうこと聞かなくちゃダメかな」とか不安になってしまうことがあるだろう。
真面目さ、曖昧さ、賢さ、愚かさ...いろんなことが実は良くも悪くも働く。相手を受け止める余地をいかに広げていくか、一人一人異なる価値観とバックグラウンドに対して、柔軟に対応していけるか、自分も含めていつも試されているなぁと思う。
最近は本当に濃い患者さんが多い。