私が学生時代から「リア充」って言葉があったと思う。だけどまだ市民権を得てなくてほんの一握りというかまだ使う人も多くなく、説明を伴う言葉だった気がする。
2009年~2010年ごろからFacebookを使うようになって以前はかなりアクティブユーザーとして利用していた。
今は眺める専門。
あの頃はこれを食べた、ここに行った、誰と会ったという日常を好き勝手に公開していた。
ここ5年くらいでめっきり投稿しなくなった気がする。もっと前からか。
たぶん、妊娠、出産前後からあまり投稿しなくなっていった気がする。当時、割とすぐ(結婚して1ヶ月半)で妊娠して、結婚1周年という時には第一子がすでにいた。何年も妊娠せずに悩んでいる人もいたし、そういう話を聞いてる中で「妊娠しました!」みたいなのも違うし、何よりも自分自身、子どもが無事に生まれるかどうか不安で仕方なく、妊娠していること自体を公表する気持ちになれなかった。
同じことは子どもが生まれた後も変わらず、私が子どもの写真をあげることで誰かが嫌な気持ちしてるかも、とかそんなことばかり考えているうちにFacebookから遠ざかっていった。
時はめぐり、今は見る専になっている。
同い年の子を育てている知り合いの投稿を見ると、「すごいなぁ」と思う。
お家キャンプ、お月見団子、コストコへのショッピング...習い事の発表会、体調不良に女子会...。
すごいなぁって思う。
だけど羨ましくはない。
すごいなって思うことと羨ましいことには相関関係がないのだろう。
なんだか別世界だ。
知り合いが子育てや趣味や遊びやいろんなことに時間とお金を注いでる一方で、私は99%仕事にそうしたエネルギーを注いでいて、SNSでは可視化することもないけど本当に忙しくてお腹いっぱいに充実っす。という感じではある。
写真映えするものに時間とお金を注げるってやはりSNSって高尚な趣味というか、高所得な趣味なのかもしれない。
なんて言うのはひねくれているので、私のインスタには子どもと過ごす週末の公園が季節に1回くらい投稿される。
一緒に遊んでいると、写真を収める暇すらない。
心に刻み続ける日々、脳裏に焼き付ける光景。終わったんだか終わってないんだかで1日を閉じる業務。朝一から爆速だな!とエンジンフルで頑張る毎日。
これが私のリアル充実の全てだな。