子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

交換条件をかんたんに口にしたくない。

全然フォローしてないので知らなかったのだけど、『日本国記』という小説を書いた著書が、「トランプ氏の再選がなければ、作家やめる」と言っていたらしい。

本も読んだことがなく、小説の中には事実誤認の箇所もあっていまだ訂正中(訂正後になってない)らしいから、そのこともそのままに筆を折るのか...と思って思い出したのが、これ。

 

www.sangiin.go.jp不正を犯したのであれば、議員辞職うんぬんの前に起訴されて裁判で裁かれるべきであって、出処進退と引き換えになるような話でもなく、むしろ「やましいところはないので、一切の文書を明るみに出す。黒塗りにもしない。」とかが一般的な返しではないかと思う。

時々、この手の脅迫めいた(まあ議員辞職しても何も脅かされないのだが)事を言う人がいる。

患者さんとかでも、「今帰れないなら、もうここでみんなを刺して死にます」みたいな。

退院は誰かの命と引換えにするもんじゃないでしょ。

元気に退院してくださいよ、誰も傷つけずに。

と思うのだけど、どうも思考回路的に極端に強気なことを言って、相手の言論を封じ込めたいという思いがみえみえ。

安倍さんに限らずとも、こういう会話って学校とか家の中とか、結構いろんなところで聞かれがちな気がする。

 

子どもと接していて、自分の発言に自覚的になるのだけど(今言ったことって正しく伝わったかな、とか言葉強すぎたよな、とか)、なるべく交換条件は等価になるものを提示したいと思っている。

「ご飯をきちんと食べてから、デザートにしようね」とか喧嘩したときに「謝れないと、次のときに一緒に遊べないかもよ。叩いてきたお友達と遊ぶのは怖いでしょう」とか。

 

これが、「謝れないなら、ごはんはないよ」とかだと、前半と後半でひっちゃかめっちゃかだ。

ご飯論法ってやつか。

 

作家が「今回は渾身の作。これが100万部売れないなら筆を折る」なら「ご自由にどうぞ」だけど、一国のトップが誰になるか?で自分のキャリアを断つとか、ちょっと繋がりがわからなさすぎて、引っかかってしまう。

 

世の中に(特に政治家に)ご飯論法を好む人たちが多いなって思う。だからこそ、自分も毒されないように気をつけねばなと思う。