子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

決断するときに支えとなるもの

日頃、社会福祉士として病院で働いていて、私と同じような仕事を「退院支援看護師」さんもしている。

突拍子もなく、豪放磊落と名高い師長さんもいて、私の異動が決まったときに一緒に働いたことのある大先輩からは「師長さんと仲良くなれるかどうかが肝」とまで聞かされていた。

お手並み拝見されていたことだろうと思う。ただ、そんな人の目も気にしてられないほどにいっぱいいっぱいの毎日。

それでも結構最初から「もしかして支援の姿勢って誰よりも私と師長さん似てるんじゃないか?」なんて思ったりもしていた。

 

ふと、話す機会があって先日、退院支援について話していた。

「ICで先生が退院先の先の先まで話し始めると、こっちに振ってくれよって思いますよね」って。

 

先生が冷静に退院支援の先の先を話してくれるならいいんだけど、不安と絶望たっぷりの患者家族の前で叱咤しながら話したり、冷たくあしらったりすると心の中で、本当に早くこの時間終われと思うし、そこからの患者家族の気持ちの立て直しにどれだけわたしたちが心砕かねばならないと思ってんのよ、なんて思いながらICの後に全部引き取って、お話を伺う。

先生たちの診療方針は的確だし、基本的に信頼している。

私はその上に立って、患者さんたちや家族と面談している。

師長さんもやっぱり同じ考えでいて、一人の患者さん、家族、抱えているものの向こう側にあるものに目を留めて、受け止めて仕事をしている。

 

つい先日、こんなことがあった。

治療のために専門病院にいった方がいて、最近当院に戻ってくることになった。戻る数日前にご家族に連絡を入れてみたところ、いろんな話を伺う中で「あそこの先生はとても高圧的で家族のことをとても小馬鹿にしていて。すごく辛かった」とお話しくださった。

専門的な治療が思ったように進まなかったことも先生の苛立ちだったのかなと思うけれど、家族が前に進むために今があって必要な治療があって、そこで患者家族が患者さんの病態や病状理解を進めていくために、「この人を信頼して」という部分というのはとても大きいのだなと思った。

右も左も、前も後ろも何も分からないという泣いて動揺して一歩も進めなかった家族が「専門的な治療を受ける」という決断に至れたのは、ひとえにいつでも落ち着いて何度でも話を聞くと言ってくれた先生がいたからだ。

 

今でも忘れないし、きっと今年の私のハイライト。

「あのご家族、すごく不安がってたよね。何か言ってなかった?もし僕でよければ聞くから」と。

週に何度も執刀したり、第一助手についたり、外来も週に何回もやって当直もやってせんせいが忙しいのが分かりすぎてるから、まさかそんな言葉が出ると思わなかった。だけど、そういう先生だからその優しさって、思いって患者さんや家族に伝わってるんだろうなって思う。

 

残念ながら、そういう関係の築けなかった先生と患者家族という中ではさまざまなことが進んでいなかったけど、信頼している人に押される背中と、不信感のある人に押される背中。

その背中で受け止めるものは真逆だよね。

カウンセリング用語で言えば「ラポール」こそが全ての前提だなと思う。

 

いろんな先生がいるから暴走型もいるけど、うまく院内の専門職同士、役割分担して患者さんと家族の支援や治療ができたらいいなとしみじみと思った。