ちきりんさんのTwitterに「教育熱心なのは圧倒的に母」という事が書かれていて、そうなのかぁ〜と少し考えさせられた。
ある方は、「より子どもとの時間、子育てに対する関わりが深い親ほど子どもの教育環境にも直面させられているから熱心になる」という分析をしていてそれも納得。
うちの場合はどうだろう?とか考えてみた。
父方の両親はそんなに教育熱心な印象はないけど、明治生まれの割に祖父は大学も出てたし祖母も私学の女学校を出ていて小金持ちだったのかなと今は思う。
母方の両親は戦争の煽りを喰らい、学問よりも仕事、仕事も差し置いて兵隊へ...という時代だったけど、祖母の両親はこれまた「手に職」な人たちだったから、それなりに教育との親和性の高い家庭環境だったのだろうと思う。
なので「勉強することはいいことだ」という親の価値観のもとで自分自身は育ったなと思う。やりたい習い事はバレエ以外はやらせてもらえて、小学生の時は毎日習い事に通っていた。
親にやってみたらと言われて半ば強制的に始めたのは水泳くらいで、ほかは姉の影響もあってか「やりたい」といって始めたものばかり。
教育熱心にも色々あるけど、子どもがやりたいこととか勉強したいことを応援していきたいと思っているし、学ぶ環境はできるだけ整えてあげたいなと思う。
「整った環境で学んでいればいい」というのとも違うけど「こうなりたい」って思ったときにアクセスできる環境があると良いな、とか。
でも、あらゆる勉強の根底には「思考する力」みたいなものがどれほどあるかだと思うから、それが鍛えられる環境なら、究極はどこでもいいのかもと思ったり。
どんなに優秀な学校に行っても思考しないならあんまり意味ないかなって思う。
なんてことを考えている道半ば。