子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

祖父母の遺してくれたもの

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我が子たちにおもちゃを買い与えることはあまりしたくなくて、ねだられても滅多に買わない。

元夫は、ミニカーだとかフィギュアだとかを買い与えている。「そういうのはいらないよ」と伝えても、あげることによる満足がある様子。その気持もわからないでもないけど、結局それを投げて壊したり、最初は楽しく遊んでもそのうち飽きてしまう。

そういうおもちゃが無数に溜まっている。我が家は雑然とする。その繰り返し。

それで「いらない」というのだけど、私の話なんか聞かないから(別にそれも仕方ない)構わず買い与えて来る。

 

うちの祖父母は戦前〜戦中〜戦後世代ですごく大変だった時代を生き抜いてきた。おじいちゃんは私の中での鑑。こういう頑張り屋さんになりたい。なれない、だけど少し血は継いでいる、と言った感じ。

そのおじいちゃんが70代の頃、私は体を壊してこのまま社会で生きていけるのか、一生病気を抱えて生きていくのか、その時に私はどうなっていくのかという漠然とした不安を、周囲の人に与えてしまった。

私は目の前のことしか見えてなくて、だけど両親や祖父母は10年後、20年後を憂いていたと思う。

その祖父母が、一生懸命に私のために貯めてくれていたものが最近出てきた。

ちょっと普通じゃ考えられない額。

私は未来の子どもに残せるものはあるのか。そのとき子どもに必要なものを手渡せるとしたら、形ある「物」ではなく、教育であったり、経験なのだろう。

教育と経験にはお金を惜しみたくない。

私はお金まで残せるのか自信はないけど、1円ずつでも貯めていこう。おじいちゃんやおばあちゃんがそうして生きてきたみたいに。

 

高い買い物をしてしまったここのところだけど、財布の紐を締めて。

 

それと、両親の親4人共、戦争体験者。好き好んで4人に戦時中の話を聴きまくっておいてよかった。今は母方の祖母しか生きてないけど、小学生の頃にいっぱい話を聞いておいたから今でも戦争のことは自分と地続きの体験として想起される。

「戦争を知らない世代」と言われるけれど、何かをリアルに経験していなくてもその出来事に思いを馳せたり、想像を巡らせて思考することが人はできる。そのための教育だろうと思う。

だから、「知らないから言えない」「わからない」という逃げ口上だけはしたくないと思う。

 

話はそれたけど、祖父母が遺してくれた数多のことに感謝していきたい。

祖父母の温かい思いをちゃんと受け取った。ずっとずっと大事に思ってくれていたことは感じていたし、そのたびに受け取っていたけれど、こんな時間が経ってからも見つかるとは。

でも、もうその気持ちはちゃんと受け取ったのだから、あとはおばあちゃんが療養するためにお金は使ってもらいたい。