子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

家事。

息子と日中過ごすことが続いたせいもあってか、家事をしている。日中家にいるなんて、普段は週末くらいしかないから、家でやることとしてはまず、家事が筆頭。

息子はEテレを真剣に見ていて、床にはさっきまで遊んでいたおもちゃが散乱している。

私は2回目の洗濯を回しながら食器を洗って、掃除機をかけなくちゃな、なんて考えていたら、家が雑然としていることに思い至り、これも片付けねば(はぁ…。)なんて考えて、家にいるのは楽だけど憂鬱。

 

なんとなく、毎日掃除したり片付けしたり洗濯をしたりを繰り返して、こういう生活ももう8年とかになるけど(独身以降)、はたと「家事をするのは私だけだ」というすっごく当たり前の真実に出会ってしまった。

息子が何も手伝えずにテレビを見ているのは当然で、家事の戦力ではない。

もちろん「お手伝い」をお願いしたりできることもあったりするけど、コンスタントに家事をするにはまだ幼すぎるし、娘は娘で学業優先だから時々手伝ってもらうものの、やっぱり総合マネージメントは私しかいない。

 

当たり前のことなのだけど、さっき気づいてちょっとびっくりしている。

 

わ〜こんなにたくさんのタスクが家の中にあったのか!って。

 

よく、「主婦業は大変」と聞くけど、多分まともに向き合ってきてない結果「まあ、でもやんなきゃいけないし誰かにやってもらったとしてもやっぱりやり方が気に食わなくてやり直しとか大変だし」なんて思っていた。

だけど家事の幅は果てしなく広くて、私の能力では多分全タスクを進めていくことが困難なんじゃないか?と思った。

きっと母は、主婦の仕事内容の途方のなさに気づいていたから、私が家を汚す(物を落とすこぼす)ですごく叱られた。

片付け方の悪さにも激しく怒られた記憶がある。

母みたいにきち〜んとhouse keepingしている人にとって、中途半端でだらしないって形容詞が似合う私は「不快のかたまり」だっただろうと思う。

それでも見捨てずに育ててくれたのだから、今となってはありがたいけど、あの頃(小学生)は本当に怖かったし嫌いだった。

 

で、さっき家事の膨大さに気づけたのだけど、あんまりに多くてどこから手を付けようか?って考えてとりあえず子どもたちと約束していたケーキ作りを優先させている。現実逃避の一種かな。

 

でも子どもとの約束も大事。

家のことをするのがあまりにも苦手な私がうっかり仕事をせずに休んだりするとこうして家事と向き合っていかなくちゃいけなくて、私の最大の現実逃避が仕事なんだなと思う。仕事の中の苦手分野よりもさらに家事が苦手。

だけど、英語の「house keeping」は言い得て妙で家を保っておこうって思える。家事って言うと、なんか漠然としているっていうか。わかりにくいなぁって。

 

洗濯干したり畳んだり、また洗濯したりして、一日、洗濯掃除買い物、仕込みで終わる。

生きてる限り続くし、仕方ないか。