いじめの話
いつも懇意にしている薬剤師さんとたまたま立ち話をするタイミングがあった。おもには息子の薬のことで行ったのだけど、薬剤師さんから急に「今ね、すごいのよ。いじめが流行ってんのよ。それもかなりひどい」と言われた。
娘もまだ小学2年生。
しかもいじめに遭うようなタイミングはなく、ただただ家で過ごしているこの夏、いじめは我が事ではないものの、この地域の小学校中学校で少なからずあると知って9月以降について学校生活は安心して送れるのか、コロナとはまた違う課題があることに気付かされた。
いじめの具体的な内容は言ってなかったものの、少し大きくなってくると「死」とは何かをよくわかってないとしても「今がつらい。苦しい。だから死にたい」と言う子がいるという。
要は、自分の存在を消してでもこの苦悩を断ち切りたい。そんな切実な苦しみ、痛みを抱えているんだろうと思う。
それに「死=終わり」というイメージがあるのも、余計に死を持って解決しようと考えてしまう所以かもしれない。
いじめってどれほどに罪深いことか。
人の人生を歪めたり壊したりしてしまう。
と同時に私も薬剤師さんも同じ意見だったのは、「そんな人たちと一生付き合うわけじゃないし学校なんて行かなくてもいいよね」ということだった。
そしてこの夏、娘が学童に行かず家でのんびりと過ごせたことは、この先の娘にとっても良い経験になったのかもしれない、とふと思った。
娘が6年間、人間関係でそこまで深刻な思いをせずに卒業していく可能性もあるけれど、もしもすごく辛くなってしまった時に「だったら家で勉強もできるし自分の好きなことをやろう」と過ごす力を持っていたら、学校に縛られずに自分の生きる道を探っていけるのではないか、と。
一方で、娘も息子もこの先いじめに加担するようなことが決してないように、違う他者をいかに受け入れていくか、付き合っていくか、コミュニティの中で本当の「多様」さを身に着けていくか、そこも一緒に考えたり話したりしていくこともしなくちゃな。
新学期を前に、考えるべきことはコロナばかりでもなくいくつもある。