あっという間に解散総選挙が終わっていった。
今回はTwitterでもかなり盛り上がっていたように思う。だけどテレビを付ければ相変わらず自民党は、立憲民主はと言われていたものの、その他の政党の話はあまり聞こえてこなかった。取り上げられていてもごく一部のニュースにとどまっていた。
ワイドショーと化したお茶の間ニュースには、小室眞子さんの話の合間に岸田さんがどこそこで演説しただの、安倍氏が誰の応援演説に乗り込んだだの、どうでも良い話がダラダラと垂れ流されていた。
選挙といえばここ最近、地方選では共産党が善戦している。
私が学生の頃は共産党は一部のシンパのためのもの、一般人には程遠い存在だった。それがいつしかすごくフレンドリーな政党に見えてきたのは、いつ頃からだろう。
リーマンショックよりもあとの頃な気がする。私の記憶の中で。
個人的には民主党を昔から積極的には支持していなくて、「私はこっちが好き」という政党があった。
共産でもなく、民主でもなく。
だけどここ数年は、れいわ新選組に着目している。
いつだったか、山本太郎が奄美大島に行っていた様子を何かでチラ見した。
国会議員(その頃現職だったか)や政党の代表者が離島に行くなどあまり見かけない姿だったからすごくそのことは記憶に残っている。
人口何百人とかの農村や山村も、山本太郎は足を向ける。
政治家ってこういう人がなるものだよね、というかそうあってほしいという思いが彼の行動で確認できる。
今回の衆院選で想像以上に立憲民主が苦戦していたのは結構意外で、もっと呆れたのは維新が票を伸ばしていたことだ。
雨合羽松井とタレント吉村と詭弁王橋下。
私の中でそういうイメージが先行していて、彼らの掲げる周回遅れの新自由主義も眉唾だし、大阪の万博だの、カジノだのと言っていていつまでインバウンドにすがるつもり??と思ったり。
だけど大阪を中心に今の日本の「民意」はここにあるらしい。
自民党が支持爆上げの時代も「私には好きな政党があるから」と一線を画して一度もジミンに入れたことはなかったけど、あの頃(二十歳前後)以上に今の日本が理解できないでいる。
自民の票が離れた分、維新に行ったという見方があったけど、もしかしたら思った以上に強い言葉に惹かれている人が多いってことなのかも知れない。
私個人は、強い言葉は嫌いだ。
「絶対」とか「今まさに」とか「二度と」「一ミリも」みたいな言葉って、非常に断定的だし相手にすきを与えないし、それでいて「絶対」なことも「一ミリも」なことも世の中には実はそう多くないから、曖昧な場面で使われることの危うさをとても感じている。
死んだ命が二度と生き返らない、とか「人を殺すことは絶対にいけない」とか、そういう文脈ならともかく「私は絶対に賄賂を受け取ってない」とか、立証して初めて言ってほしいわと思うし疑いを晴らす行動すらせず、国民に黙らせようとしていた人など、政治家として信用できないなぁと思う。
まあ、でもとにかく結果は結果。
個人的には野党共闘ってなんだったの?と思う。
立憲の支持層が、共産党と組んだことで今回支持を見送った、みたいな事も書かれていたけど、立憲民主の積極応援派でない私からしたら、「れいわも共産も社民も一体感あるけどここに立憲??」みたいな気がしたのも事実。
というかどの政党も各自、大事にしているものが少しずつ違うのだから、選挙のときだけ「共闘」なんて無理な話で、政策立案や国会運営で共闘してくれよと思う。
なんだかな、今回の衆院選でがっかりもしたし残念にも思ったけど、注目のれいわから3人も国会に送り出せたことは、何かの始まりではないかというほのかな期待もしている。