子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「ただの風邪」

f:id:like_little_children:20220126220613p:plain

新型コロナ、とくに今流行っているオミクロンについては「ただの風邪じゃん」というコメントがあちこちで散見される。テレビの中でも、ネットでも。

 

同じように「風邪」と言われるものに、鬱について「こころの風邪」という言葉が一時期独り歩きしていた(気がする)。

たとえとして、「心も風邪を引くんだ」というニュアンスで、決して深い意味もないし軽く受け止めようということでもなく、うつ病についての敷居を低くするためにという文脈で使われていた言葉のように思う。

 

ただ、うつ病を「風邪」としてしまうことによる弊害はあったのかな、なかったのかなというのはやや気になるところ。

風邪というのは多くの人が一度はかかったことがあって、その症状はだいたい似たようなものであるものの、その時の流行りで全然違う症状や経過をたどる。

お腹の風邪から鼻水、咳の風邪、高熱が出るような風邪。

 

多くの場合には数日で軽快していく。

 

だけど、ただの風邪だったのに、菌が脳に回ってしまって脳症になる人もいるし、肺に回って肺炎を引き起こしてこじらせたり、気管支を弱めてしまう人もいる。

命取りになることもある。

 

うつ病にしても、なんとなく気分の落ち込みや体の動かなさを経験しつつ、何かの拍子にそこから抜けていく人もいれば、社会に出ることが困難になって一生をうつと共に行きざるを得ない人もいる。

「風邪」という言葉でイメージされる(もしくは多くの人が経験的に共有している)ものは、わりと軽いもの。

だけど、うつについては多分、風邪を引くのとは根本的に質の違う、人生を大きく変異させてしまう威力を持っている「何か」だと思う。そうしたものを「風邪」と表すことの違和感を今更ながら考えてしまった。

それに、コロナについては私のごく近い知り合いも家族感染をしていたけれど、みんな超軽症で「早く働きたかった」と言っていた。そういう人もいるし、感染対策して遊んでもいなかったのに具合が悪くなってしまって肺気腫を患って酸素も外せなくなったり、回復に1年近くかかっている人もいる。

「ただの風邪」と表現することで、さも問題ないかのような印象を与えがちだけど「風邪」もいろいろ。

そのあまりの幅の広さを思うと何かをたとえる言葉としては適切ではないのではないか、などと思えてしまう。

私自身も何かを別のものにたとえるときに、その言葉や言葉の持つ印象・意味をよく吟味して使いたい。