「自分について」というテーマでいまだに10本くらいは作文が書ける気がする。
若かりし頃だったらそれこそ100本くらいは書けただろう。
それくらい、「〜について」というのを考えるのが割と好きで、中でも「自分とは」というのは永遠の問いだと思っている。
いろいろ考えたけど、やっぱり哲学倫理専攻っていうのは私のこういう性格に合っている学問だったのかもしれない。
それはそうと、最近ちょっとはてなと思ったのが2つほど。
- 生理は妊娠期以外は不要だからとめるのも一つ(薬で調整という意味かな)
- 母乳かどうかは私が決める
1つ目のものはかなり極端な気がして、不思議な気持ちがしている。
不健康な生理(病気が隠れているとか明らかに精神バランスが崩れて生活に支障が出るとか)はともかく、なんとなく来ては過ぎていくものにそんなにも嫌悪感があるの?と。
友人で閉経したわけでもないのに生理がなくなってしまった子がいて、それはそれですごく悩み深いのも聞いていたから、自然に生きることの難しさやいかにそれが有り難いかを考えてしまう。
2つ目についてもやはりちょっと不思議に感じている。
上の子と下の子で全く真逆に育てる結果になったのだけど、一人はほぼ完母、一人はほぼ完ミだった。
別にそうしようとしたわけではないけど、娘のときはちゃんと母乳が出たし飲めたというのがあった。息子の時は入院もあって息子にいいタイミングであげられないでいたらだんだん出なくなってしまったというのもあって、ミルクにした。
栄養の提供方法なんて別にどっちでもいいと思うけど、それは自分の体や子どもの身体次第ではないかと思う。
「こう」と決めつけてやっていく話でもないし、生まれてからというか育てながら考えるレベルのものではないか。なんて思ってしまった。
人生のほとんどのことはままならないし自分の想像とは違う何かが起こったり、準備したはずがそうではないということもある。
その「ままならない感じ」というのは結構大事だし、時々ストレスでもある。
人間関係でも、自分の体でも心でも。
いろいろとコントロールしようとするほどにうまくいかなくなることもある。
自己決定なんて高尚な言葉だけど、決定できないこともたくさんあって、その自分の意思を超えていく部分までどうにかしようとしないほうがいいなってここ20年くらい考えている。
だから「私が」って全部決める人を見ると少し疲れてしまう。
意見を述べたり考えたり、結論までのプロセスは積み重ねていきたいけど、どうにもならないこともあるから最終的には運命にお任せすることも大事かな、なんて思う。