何事もなければこれが最後。
ようやく養育費調停が終結した。
調停を申し立てた月から、相手方の支払い義務が発生するというのが養育費調停の法律で定められているルールがある。
当然、彼の経済状況を考えればゴネるだろうな〜くらいのことは想像していたけど、思いのほかグズったらしい。
「申し立てた月からなんかはらいたくない」と言って、「息子の習い事の費用を返還しろ」とまで言ってくる始末。もう全てが面倒くせぇ。
「じゃあ仕方ないです。申し立てた月と、翌月のものは請求しないんで、調停が始まった月から払っていただければいいんで」と調停員にお伝えしたところ、「そんなん払わない。申し立てた月を満額支払えというなら、個人間でやり取りして習い事の費用を返してもらう」とか言ったらしい。
馬鹿に塗る薬はない。
流石に調停員も呆れ返って「申し立てがあるんだから、法に則って支払いなさい。個人的に金銭の授受はダメです」と諌めてくれたらしい。
他人に言われるって恥ずかしくないのかな、やべってならないのかな。
ならないんだろうな。
私だったら悟って恥ずかしくなるけど。
結局、調停が始まった月の支払い分から習い事の費用を差し引いて初月は取り決めよりも少ない額で納得するか、審判に移行するか。
二者択一だった。
審判になるとさらに時間がかかる上、養育費も減ってしまう可能性もあったから泣く泣く前者で合意をすることにしたけれど、一つ一つのエピソードを重ねるたびに「離婚してよかった」としか思えない。
あの時の決断間違ってなかったんだ、と自分で自分を、そして支えてくれた両親に感謝でいっぱいになる。
調停員さんも「ずっと相手方は恨みつらみを言ってますね。こちらとしては養育費は慰謝料じゃないし、子どものためのもの、子どもが健全に安定して成長するためのって説明してるんですけどね」と呆れていた。
大丈夫です。大体のことは想定されているし、いかにも彼っぽい反応だし、自分の都合のいいようにしか解釈しないのも、都合の悪いことは話をそらしちゃって被害者ぶるのも全部既知の出来事。
ああ、そうですよね。そうだと思いました。
というのが正直なところ。
離婚して正解と思ったのは私の心身の健康においてもそうなのだけど、「元妻は苦々しいけれど、これは子どものためのことだから」といったん、個人的感情を置いておいて冷静に客観的に法的に何をすべきかということに思考を集中させる能力がないから。
いつもそうだったけど、「周りの言うことは理不尽に聞こえるんだけど、でもその中でも自分の振る舞いは本当に良かったのか、同じ指摘を受けないために自分は何をどうすべきか」と言うことがまるで考えられない人だった。
これは私が「こう言うことなんじゃないかな、こういう風にしてみたら?」なんて言っても全然ダメ。
「ぼくちゃんは可哀想な人」ってことしかアピってこない。うざい、知らん、解決しろ。
そう思っていた。いい歳して拗らせて仕事やめて勝手に勉強始めて、それも勝手にやめて全部人のせい、何かのせいにして。この先この人といて尊敬も信頼もないわ。
そう思った6年前の春は私の転機だったな。
よく、女性は感情的な生き物とかお喋りしてストレス発散とか言われるけど、男の方がよっぽどそうだろと思うし、こっちは日々パズルのように育児も仕事も家事もしていて感情的な感傷的なことにいちいち左右されて泣き言言ってる時間なんかない。
目の前の現実の処理に追われている。
というわけで、ちょっと荒ぶった気持ちもあったけど、娘には「ママは一仕事終えました。詳しい報告は娘ちゃんが二十歳になったらね」と伝えておいた。
お金のことで子どもたちを困らせたり悩ませたくないし。
まあ、とんでもない父親だわ。
うちの父親、控えめに言っても最高だったんだと気が付く。