子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

思い出がいっぱい。

日々たくさんの患者さん及びその家族と出会っては別れている。入院から退院まで。

特に今の急性期にきてからはその時間のスパンは短くて、次に会おうかと段取りを予定していたら、系列病院にあっけなく転院なんてことも珍しくない。

記録もろくに書かないまま...まずいまずい。

 

やや要領が悪くて時間が毎日足りないのだけど、一つ一つのケースはやっぱり丁寧に関わっていきたいと思う。

患者さんの家族から、患者さんとの関係性を聞くことがよくある。もちろん、疎遠気味の方もいるけれど、色々とお話しくださる場合は、患者さんと家族の間に分かちがたいつながりがあることがほとんど。

家に帰れたら何よりなのに、「もう高齢だし無理はできないです」と言って、家以外を選ぶ家族もいる。

「何がどうあっても自宅以外を考えません」という家族もいる。

施設の選択も、在宅の選択も、それは等価だし良い悪いはない、というのが私の持論だ。

患者さん家族にもそれはよく話している。

「家に帰るなんてわがまま言ってごめんなさい」などという家族が時々いるけれど、全然わがままじゃないし、「家に帰るんだね。じゃあ一緒に頑張っていきましょう」くらいの心持ち。

やるべきことは介助量が大きいとそれなりに多くなるけど、着地点はたった一つだからそこに向けて準備準備、って感じで迷いなく進める。

むしろ、施設の場合は家族がそこを「良い」と思えるかどうかもすごく大事なのに、時間的にゆっくり選べなかったり、せっかく家族が希望していても施設に空きがなければ受け入れができないし、合うところを探すのはなかなか難しいなと思う。

まして、コロナで面会も制限がされている今、患者さんと家族が会って笑い合う時間すらも持てなくて、なんだか辛いなと思うこともある。特に、患者さんとの思い出をたくさん話してくれたり、「家に帰るとぽっかり穴が空いたみたいで」という家族の場合には余計に。

どうしても大きな病気のせいで帰ることが叶わない人は一定数いるけれど、これまでの患者さんの人生と退院後の生活になるべく矛盾がないように、本人や家族が希望した形になるようにということを考えさせられる。

 

とてもたくさんのケアを必要とする人が退院した。私に託された時間はわずか5日。

何も調整をされていないまま、がむしゃらに調整して退院を迎えた。患者さんの家族には涙ながらに感謝されたものの、もう少し時間があったら、調整すべき時期に私が担当させてもらっていたら...と思った。

やっぱりちゃんと聞くべきなのは、患者さんの声であり家族の声。

病気になってポッと関わり始めた我々など医療機関は、その家族のことも本人の人生も何一つ知らないのだから。

それなのに何かを指図する(施設に行った方がいいだの、家に帰った方がいいだの)のはおこがましい。

あくまでも主体は患者さんであり、家族であり、病院はその意向を聴きながら調整をしていくしかない。

短い時間であっても、長い期間関われる患者さんであっても、ちゃんと聴く、ちゃんと受け止める。

これに限る。