子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

6年生の卒業式

小学校の卒業式なんて、普段はあまり思い出さないし思い出す必要もない(価値もない)と思うほどに、遠のいている。

ふと、Twitterで小学生時代の教員とのやりとりをつぶやいているツイートを見ていて、私もつい思い出してしまった。

 

小学校5-6年は同じ先生が担任していた。

すごく仲良しだった友達と、それはほんの出来心で先生のバーカと何かに書き記したことがあった。

普段からあまりよく思ってなかったから、友人と「書いてみよう」って言われていいねいいねってなった流れだった。

最終的に、友人が私に罪をなすり付けたとしても構わない。そう思うほどに私はその先生のことが大嫌いだった。

で、当然書いたものはすぐに見つかって、犯人探しとなって呆気なく捕まったというか、濃厚な容疑者として(証拠は出てこなかったから)事件は終了した。

まあ、犯人は私だとしても犯人として向き合わされるか容疑者かは、私の中で大きく違っていた。

その先生のどこが嫌いだったかというと、児童に対する扱いが非常に不愉快だった。

その頃、小学校にはちょっと乱暴なこや席をすぐに立ってしまう子がいた。今で言えば発達面での特性を抱えていたのかもしれない。

時代が時代だったから、怒られたり殴られたりしていた。

担任の先生は女性だったけど、自分ではその子に暴力を振るいたくないからって、わざわざ授業中に隣のクラスのこれまた意地悪を体現したような体育教師を呼んできて、小学5年生に対してはあり得ない体罰をしていた。

それもみんなの前で、それも笑いながら。

 

今思い出しても吐き気がするし、思い出しても許せないと思うし、大嫌いだ。

ただのいじめだった。

体育教師は「これは差別じゃない、区別だ」とかほざいていた。ふざけんなよそんなの詭弁だよって小学生ながらに思っていた。

6年になってもそのまま担任と知った時には、またこの1年も私は先生にいじめられるんだなって思った。

表立っていじめられるみたいなことはないけど、私にわかるような嫌味は言われていた。

大体そういう言葉はスルーするっていうのが私の交わし方で、私の中で担任はなんの影響力もない、怖くもない、ただただ怠いおばさんでしか無くなっていた。

卒業式の日、もう二度とあの人の顔を見ないで済むと思うと、早く中学生になりたかった。

小学校から中学校に申し送りがあるらしいと聞いた時はちょっと絶望したけど、とにかく先生に会わないで済む生活はバラ色だと思った。

その卒業式の日、みんなすごくオイオイと泣いていた。何がそんな悲しいのかわからないし、私は早く帰って美味しいご飯でも親と食べたいと思っていた。

それなのに感極まって、先生の取り巻き組の誰かが「学校の名札を回収する。タスキにして先生に渡そうよ!!(グスン)」みたいな提案をしてそんなかったるい行事が急遽加わった。

心底うざかったけど、まさか卒業式を早退するわけにもいかないし、校舎から門まで作られた花道みたいなところは歩いてみたいという欲もあって、我慢していた。

クラスメイトが続々と名札を言い出しっぺに渡している中、私もとうとう名札を外してそっとポケットにしまった。

出したか出してないかなんてどうせクラスは30人以上。わかるまい。

 

あの時、クラスメイトに「出せよ」とか「なんで出さないの」とか言われたかどうかは覚えてないけど、言われようが言われまいが、やりたくないことはやらない。誰に言われても。

結局、出さなかったのはクラスで私だけだったか。私の友人は「好きな先生にあげたい」というまた別の事情で出さなかった気がする。

そんなどうでもよいことを思い出した。

 

その先生から受けた仕打ちはどれもこれも、反面教師だし、結局いろいろあって私立中学に行き始めてからようやく私は解毒されたと思う。

小学校の6年間でどっぷりと溜まった毒素が中学校〜高校の6年間で解毒できたのは、ひとえに中高の母校のおかげだと思う。

 

時々は嫌なことを思い出してブログにお焚き上げでもするしかない。