あらかじめいうと経済の話ではない。
社会福祉士の勉強の中で「ミクロ」「メゾ」「マクロ」っていうのは必ず習う。これを知らないのはモグリだなって思うくらい、一度は必ず通る道。なのにどこで働いているかによって自分なりの考えや問題意識はそれなりに偏ってしまうのではないか。まあ、私自身がかなりミクロ的な視点というかミクロソーシャルワークが日々の9割を占めている。
そんな中、たまたま機会を得て区内の研修会に参加した。本当に参加してよかったと思う。
ひっさしぶりにマクロ的な視座と地域実践というメゾ〜マクロ的な視点からソーシャルワークを見つめることができた。
この研修会のいいところは社会福祉士だけではなく、セラピスト(リハビリ職)や保健師、ケアマネージャーなどいろんな職種の人が集まっているところ。
だから社会福祉士だけの視点に偏らないし、いろんな意見をぶつけ合う機会にもなった。
研修の中心は「地域の複合的課題をどのように地域として課題解決していくか」というもの。当該区については福祉行政が進んでいると個人的に思っている。
私の感触というか印象論でしかないのだけど、例えば「こういうケースがあって」という相談・報告を行政職員にしたときに感度良く動いていただける。
この感度の高さっていうのを生活困窮者〜高齢者、障害福祉分野でも感じるから住まいの区と比較して「本当にここは素晴らしいな」と思う。
研修会を通してそういう福祉行政の文化というか素地の上に複合的課題を抱える世帯へのアプローチとは?その仕組みとは?というのを形作っている。全然そういう取り組み知らなかったけど、知ってよかったなと思う。
「どおりで相談しやすいわけだ」なんて思った次第。
福祉って遠くて一部の人にしか関係のない「よくわからないもの」だと10代の頃思っていた。なんなら「福祉って可哀想的なイメージもある」くらいに認識が貧しかった。
それが今、こんな仕事をしていて「生きとし生けるもので福祉と無関係に生きていく人などいない」とすら思う。制度を利用するかどうかは別としても、そうした制度整備をされている社会・文化・世界の中で生きているというか、そこの充実こそが「豊かさの指標」ではないか、と。
人が生まれる〜死ぬまでの間にあるあらゆるイベントに対してきめ細かく、クライシスな状態(受験、社会人、出産、キャリアダウンなどなど)になったとしても生きていける社会というか。
受験に失敗したら、社会人で挫折したら、出産したら、失業したら、休職したら…残念ながら今の日本ではそうした出来事の中でうまく歯車に乗れなかった時の救済措置ってないというか、それを許容する社会とは言い難い。
それでも救済措置が用意されているというのはせめてもの救いだし、その救済措置は福祉が担う側面が大きい。
その福祉が蛸壺的に存在しているというよりも、地域としてのあり方とか目指すべき方向性を施策に落とし込んでいる。地域の医療機関としてはそれを頭の片隅に置いておく必要はあるなぁと思ったし、日々目の前のケースばかりに右往左往しているけど、マクロ的視点からケースをみるっていつも大事だし、その時に持つマクロ的視点がいつの間にか独善的になってないかとか、自己点検は必要だなって思う。
なんて、研修を通してつらつらと考えていた。
仕事を中断してでも行ってよかった。