最近せっせと美容やファッションのアップデートをしている。
なるべく毎晩フェイスマスクをしているし、洋服はファストファッションにはなるべく手を出さないようにしようと決めたし(完全では無いけど)、下着だってきちんとしたものをつけて、化粧品だってより質のよいものを選ぶようにしている。
一つには、昨日書いた通り、あまりにも老化速度が早くて、インスタントなものでは太刀打ちできないという現実。
もう一つは、そもそもの指向性として「品の良いものを好む」という私の単純な好みもあるだろうかと思う。
その品の良さをどのように考えるかは人それぞれだけど、私の聖地とも言える銀座・日本橋の昔ながらの百貨店はいつも大好きな空間で、ああいうところに馴染む大人に漠然と憧れていた。
和光とか働きたいくらい好きだった。過去形じゃない。今も憧れすぎちゃう場所。
私の中で和光を超える特別な百貨店は無いけど、昔は日本橋三越が好きで今は髙島屋の方が好きで。
まあ、それは良いとして、そういう空間に違和感のない程度におしゃれで品の良い大人になりたかった。
だけどそうじゃない感じで適当に随分と時間を費やしてきた気もする。
百貨店とはいえ、ある程度カジュアルでも全然敷居は低くなっていってるし。
昔はみんな一丁羅で出かける場所だったのにね。
というわけで、これはどこに向かい、誰を意識して日々過ごしているのだろうかと自分の深層心理を探るのだけど、全然やっぱり思い浮かばず、最終的に息子?娘??え??となっている。子どもたちのために着飾るのもちょっと意味不明だし、かといって尊敬する職場の医師なんてもっと意味不明だし(そもそも職場以外で会うことなんてまずないし、そこまでの特別な感情というのも違う)、友達とかもまず会わないし、会ってもそういうことを気にする友達でもないお互いに。
となると、よくよく考えてみた時に「自分のためってことで」というのが一番しっくりくる。
だけど自分のことにこんなに熱心に真剣になれるかね??と思う自分もいて、なんかよくわからない。
だけど、自分の中で「より良くありたい」という気持ちが原動力な気がするからやっぱり自分のためか。
子どもから、ズボラだけどちゃんと綺麗にすべきところはしている存在でいたいし、職場でも普通に清潔でちゃんとしていたいと思う。
職場に限らず、街に出た時も「ギョッ」ってされるんじゃなくて馴染むくらいに普通にちゃんとしてたい、みたいな。
あとは日に何度も眺めてたい滝沢眞紀子さんのおかげか。とにかく憧れ続け、あの美しさには感服していて、ちょっとでもエッセンスをまねたいと思ったらなんとなく今のこだわりに行きついたなと思う。
スイッチの入り方が自分でも独特でよくわからないけど、年齢を重ねてきてそろそろ抗えないことを感じるので、日々無理せずできる限りで美しくありたい。