子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

久々の更新

毎日欠かさずに更新していたのに、ふと手が止まってしまい、数日、数週間があっという間に流れてしまった。

時間て本当に流れる。

時の流れという言葉は言い得て妙で、とてもしっくりくる。

昔から、この時の流れというものをどうにかして止めたり巻き戻したり、進めたりできないものかと考えてしまうのだけど、絶対にそれは無理な話で。

毎日の更新は時間の問題ですごく大変ではあるものの、やっぱりこの数週間の間にも書き留めておきたいことは山のようにあって。

 

だからやっぱりかきたいなと思った。

息子の入学式も、喘息発作も色々と書き残しておきたいのだけど、今日のことも。

 

入職の当初からものすごくお世話になっていて、どちらかというと働く上での心の支えのように思えている先生がいる。異動する前は、一時的に一緒に働いてなかったけど、昨年からまた一緒に働く機会がある。

今日もその先生と患者さんのことでああでもない、こうでもないと他愛もなく話していた。

昨日も電話をくれて「これを誰かに話したいなって思って」とかけてきてくれた。外来の忙しい時間の合間に。

 

本当は、こういうことが大事だよね、とかこういうふうな手順が望ましいよねということがなぜかうまくいかずに、他の先生から役割を振られてしまっていて、なんだか難しさを感じたり、しっくりこない感じがあったり。

これはお世話になっている先生とだけではなく、他のスタッフともそうなのだけど仕事の中で「今、同じ気持ちを感じているよ」とか「考えていること同じだよね」という言葉を超えたところでの共感というのは、より分かり合えたり、信頼したりという関係性の構築に繋がる。

当たり前すぎることなんだけど。

 

でも、その先生と話していてそれを今日は身を包まれるように感じていた。

そもそも、信頼でいっぱいの先生なんだけど、答え合わせをしているような安心感というか。

優しさゆえか弱さゆえか、先生の断れないのもよく知っているし、よくわかる。だから何という、なんでもないことなのだけど、急性期の先生の中には本当にひどい言葉を吐く先生もいるし、患者さんや家族を受け止めようとしない根性の座っていない先生もいる。

だけど、優しさの塊と正確な診断と真摯な対応で患者さんと接している先生を見ているとやっぱり対人援助職で愛情や誠実さって絶対に大事だなと感じている。

今日は、そんな日だった。