子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

広末涼子のニュースを慎重に立ち止まる。

私と同い年である。

広末涼子さん。

彼女のデビューもその後のスターダムの駆け上がり方も、品川駅でのバッタリ遭遇して彼女が(私も)まだ女子高生だった時代、早稲女になったことの悔しさと絶対負けないと思った意味不明なライバル心みたいなやつも。

全部、よく覚えているわ。

 

でもその後の彼女の歩みはあまり興味も無くなって、ジャンレノと共演したのはすごいなぁと思ったし、いくつかのスキャンダルもあった後に、蝋燭の人と結婚して落ち着いたのかな〜と思っていた。最近では女性ファッション誌にも度々登場して、相変わらず美しく、肌は若かりしあの頃のままで。正直なところ、特別に関心が高いわけではないけど、だからといって若い頃に感じていた「なんか嫌!」みたいなのは全然なくて。

 

さて、そんな彼女が急速にまた話題の人になっている。

一番引いたのは、実は蝋燭のコメントだった。「妻がお騒がせしてすいません。〜〜〜お楽しみに」という発言。

お楽しみに...か。

この時点で臭ったのは「彼女に関する秘密の暴露をするよ」っていう告知と、マスコミと蝋燭の共同正犯の布石だった。

何かあるんだろうな、と。

 

悪い予感はあたるもので、流暢に(時として言葉を詰まらせたの?)妻がいかに良い人で、いかにクレイジーで、離婚するつもりはないということだった。

すぐにでも逃げ出したくなる環境が三拍子揃っている。

妻が良い人であることを語り、同じ会見でクレイジーであることも同じかそれ以上の言葉を尽くして語り、結論的に「離婚しない(したくない?)」と公言し。

贔屓目に見たとしても共依存になりますというようなもので、穿った見方をすればこうやって彼女を追い詰めていったんだろうということを感じてしまった。

 

多分、このヤバさはモラハラを受けた人が独特に感じ取る「あれ」を想起させてしまい、慎重に立ち止まらせるものがあった。

 

しかも、頭いいよね。論理破綻しない程度には雄弁だし、それなりに話す内容の構成も構築されていると思う。

だからなんとなくいい人っぽさは世間に植え付けられたと思う。

その用意周到さもまた、モラオの共通事項だったりする。

しかもあの人たちは「そうしよう」と意図的にやらなくてももう体が条件反射でそうなっているというか、自分をよく見せて相手を下にしていくとか落とすとかはすごくすごく得意分野なんだよね。

なんか蝋燭にそんなことを感じてしまい、なんともな〜。

でもそれは山口真由がTwitterで言ってたみたいに純粋さを失ったからではなくて、この世の中にいるモラハラと出会ったことで得られた気づきがあったからだ。

 

モラハラって怖い。

 

この間、元夫が平日に子どもに会いに来たけど、子どもも習い事の後で疲れていたし時間も遅くて急いでも向こうの指定した時間に間に合うことができなかった。連絡もしていたけど、向こうの想定よりも遅くなってしまったらしい。

それで途中で電話しながらどこにいて、何時ごろに着くか話していたら「父親が会いに来ているのになんなのか」とキレ始め、「そもそも離婚したお前が悪い」と言う話に時を戻されてしまった。

ぺこぱなら面白いんだけど、全然面白くもないし、戻されたくないし。

なんなら、向こうは再婚もしていて「それ、向こうの奥さんが聞いたら気悪くするんじゃないかな」なんて考えてしまった。

とにかく、モラハラの思考回路としては「自分が悪くなく、相手がおかしい」と言うものだから、広末家のことは知らないけど、なんとなくそんな匂いがしてしまうと最大級の警戒心が発動されてしまう。